スポーツマン精神に則りー!(宣誓)
オリンピックについて語りたい。
現在開催中の冬季オリンピック。
黒い話が後を絶たない。
オリンピックは4年に1度しかなく、国別対抗の大会なので、ある程度は熱くなりすぎた視聴者の暴走といえるだろう。
しかし、毎回少なからず出てくるのが「疑惑の判定」「審判の不正」などである。
冬季は特に競技の種類が少なく、演技種目が花形の大会と言って過言ではない。
「疑惑の判定」は出やすいと言っていいだろう。
オリンピックで自分の国の選手が活躍してくれたらもちろん嬉しいし、メダルにギリギリ届かなかったらもちろん悔しい。
しかし、それは「公平なジャッジ」が前提にあるからだ。
スポーツ好きなら多少は感じるだろうし、その競技の関係者やファンなら共感してもらえると思う。
贔屓されて取ったメダルに嬉しさは感じないし、不当な扱いを受けてメダルを逃した時の感情は悔しさではなく怒りや悲しみだ。
2位の選手より上回ってると実感できないのに金メダルをもらっても、一番納得できないのは選手自身だろうし、それが感じ取れたらファンはやはり嬉しくない。それは自国の選手が1位だったとしても同じことだと思う。
スポーツを純粋に楽しむのに必要不可欠なものは「公平公正な審判」だろう。
「スポーツマン精神」という言葉には「スポーツに携わる人間すべて」が含まれるのではないだろうか。
選手の感情を考慮したルールが存在しないのに、審判だけが自分の感情を優先する権利があるなんてことは許されない。
あんまり審判が信用ならないと、選手と同じように顔やプロフィールをテレビに晒してもらいたくなる。
いや、そうすりゃよくね?